柳田さんが眠りの中へ帰っていった。
永劫続く眠りの中で、柳田さんの魂はどんな夢を見ているのだろう。
残された私たちは、ただぼんやりと、大切な、とても大切だった「宝物」の消えていった彼方をあてどなく見あげている…。
耳には、くりかえし柳田さんの声が聞こえている。
二年前の秋。「糸桜 …黙阿弥家の人々 ふたたび…」の舞台だ。
久里子さん演じる病床の「お糸」が、死んだ父の黙阿弥に出会う場面。
夢の中で、久里子さんは無心な少女のお糸に戻っている。
糸 「お父っつぁん。」
黙阿弥 「(台本を書きながら)うん?」
糸 「お父っつぁん。」
黙阿弥 「…ああ。」
糸 「(嬉しくて仕様がない)お父っつぁん。」
黙阿弥 「…あいよ。」
糸 「また書いている…。よくネタが尽きないねぇ。」
黙阿弥 「人間ってやつはな、懲りるってぇことを知らねぇ。犬や猫だってもう少し学ぶもんだが。しょうことなしにいろんなことをやらかしてくれる。お蔭でな、芝居のネタは、浜の真砂だ。(愉快そうに笑う)」
何気ない、「…ああ。」の声に、しびれた。
吹きこぼれそうな慈愛の「あいよ。」もたまらなく好きだった。
人の記憶はあいまいだ。
私も、時間とともに、柳田さんの舞台姿を、少しづつ己のイメージの中で変質させていくような気がする。
しかし、「声の記憶」は、どうやら脳の別の引き出しにしまわれているらしい。だから、私たちはいつだって柳田さんの声を、まったくそのままに頭の中で再生することが出来る。台本の科白だけではない。世の中のありとあらゆる「文」を、柳田さんの声で聞くことさえ出来る。
なんと嬉しい、ありがたいことだろう。
柳田さんの生の舞台姿を見ることは、もうない。
けれど、柳田さんの「声」は、いつだって、私たちの脳の中で生き続けている。
柳田さんの「声の記憶」。
…柳田さん、本当にすてきなものを残して下さいました。
心からの感謝を送ります。そして合掌。
2023年冬 新派の子一同
2021年11月
「糸桜〜黙阿弥家の人々 ふたたび〜」
カウントダウン コメントリレーより
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